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2009.06.16

客室探訪 本館 中広間【群巒】(番外編)

入梅したとはいえ、今のところは全くの空梅雨ですね。。
先日、仲居さんが 『もう梅雨は終わったのかしら?』 と言われていたのに
『そんな訳はありません…』 と心の中で一人ゴチたジナンです。

さて、そんな脱力系新感覚の松田屋ブログですが
今回は客室探訪番外編として中広間【群巒(グンラン)】を御紹介します。
 

客室探訪 本館 中広間【群巒】(番外編)

※客室探訪編二回目で早くも番外編かよ!
 という野暮な突っ込みはご遠慮頂いております。
 ご了承下さい。

群巒という名前は松田屋が1887年(明治20年)に新客室棟を増築したおり
伊藤博文公が初代総理大臣として御来泊下さり
これに群巒閣(ぐんらんかく)と命名下さったことに由来します。

群巒閣とは…
群:むれ、仲間、友人
巒:丸いむね、円峯
閣:高殿、二階づくりの家


という意味があるそうです。さしずめ「山口盆地を一望できる二階づくりの家」 とでもいった解釈でしょうか?
先代の社長の話では当時の山口には二階立ての建物はほとんどなく
群巒から現在の中国電力山口営業所さん辺りまで見渡せたそうです。

現在の群巒からは敷地の周りの木々に遮られ外の様子を伺えませんが
外界からの喧騒を離れ静かに庭の眺望を楽しむことができます。
群巒の床の間には伊藤博文公より頂戴した同文字の揮毫が飾られています。
 
客室探訪 本館 中広間【群巒】(番外編)
客室探訪 本館 中広間【群巒】(番外編)
閣 巒 羣 (春畝山人)

春畝山人にある春畝(シュンポ)とは伊藤博文公の号のことで春畝公と表記されることも多いそうです。
この春畝は博文公の幼名に由来するのだとか。博文公は自身の曽祖父「利八郎」と「助左衛門」から
「利」と「助」をとり「利助(りすけ)」と名づけられたそうですが、これが「としすけ」とも読まれ
「としすけ」の音から「俊輔」とも書かれるようになり、そうなると今度は「しゅんすけ」と読まれることになり
その音から「春輔」とも表記され、今度はそれが「しゅんぽ」と音読されたので
最終的に「春畝」を号にしたそうです。

この号(あだ名?)の変遷にも維新の歴史があるんでしょうね。
 
(Wikipedia:伊藤博文「通称の変遷」より)


如何でしたでしょうか?客室探訪番外編 群巒。
皆さんも博文公ゆかりの群巒で松田屋の料理に舌鼓をうってみては如何でしょうか?