松田屋の歴史

代々受け継ぐおもてなしを

代々受け継ぐおもてなしを 維新の志士たちが
語り合った
松田屋の地

新たなる時代の幕開けを夢見て
闘い、明治維新の偉業を成し
遂げた志士たち。
「松田屋ホテル」は彼らが集い、
語り合った場所としても
知られています。
その歴史を証明するのが、
残された文化財の数々ー

維新の志士たち

維新の志士たち

維新の志士たち

松田屋の地

明治維新の時を共にした松田屋の歴史
The history of Matsudaya since 1675

日本の歴史

1680

徳川綱吉が5代将軍となる。

1709

徳川綱吉が死去し、家宣が6代将軍となる。

1716

徳川吉宗が8代将軍となり享保の改革を始める。

1853

浦和沖にアメリカから、
ペリー初来航。

1854

日米和親条約締結

吉田松陰

1857

吉田松陰、
松下村塾
を引き継ぐ。

1858

日米修好通商条約締結

1859

吉田松陰、
安政の大獄で萩で逮捕、
江戸へ護送後死刑に
処せられる。
(享年29歳)

1862

坂本龍馬は脱藩し、
勝海舟の門に入る。
3年後長崎に社中をつくり、
海運貿易に従事した。

勝海舟

坂本龍馬

山口市維新史跡探訪地図ちょっとディープな歴史探訪
山口市維新史跡探訪地図

現在の山口市内には、当時の時代をしのばせる史跡が
残っています。松田屋ホテル謹製の地図をお持ちになり、
ちょっとディープな維新探訪にお出かけになりませんか?

詳細を見る

徳川慶喜

1867

第十五代将軍徳川慶喜が、
大政奉還勧告

坂本龍馬・中岡慎太郎、
共に京都の近江屋で暗殺される。

中岡慎太郎

坂本龍馬

西郷隆盛

1877

西南戦争勃発、
西郷軍敗退し、西郷隆盛
鹿児島の城山において自刃。

1885

初代内閣総理大臣に伊藤博文就任。

1889

大日本帝国憲法発布

松田屋の歴史

1675

松田屋ホテル創業

松田屋ホテル 日本庭園

松田屋ホテル 日本庭園

1860

維新の志士坂本龍馬らも浸かった、維新の湯を設営。

「維新の湯」

1階

現役の家族風呂「維新の湯」

「維新の湯」由来

当時長州、薩摩、土佐の勤皇の志士が倒幕・皇政復古の密議をしたときにも使用したと云われる歴史的文化財となる。

坂本龍馬ら維新の志士が入浴した湯とは

1863

高杉晋作
松田屋玄関横の楓の幹に、
「盡国家之秋在焉」(国家に
盡すのときなり)との文字を刻む。(高杉は同年に奇兵隊を創設)

高杉晋作

高杉晋作が当時の所感を刻んだ楓を見る

「憂国の楓」

1階

資料室に保管された実際の
「憂国の楓」

1864

三条実美率いる七卿らは、
松田屋にしばしば来遊滞泊し、
勤王の志士らと討幕の密議を画策した。

「七卿落ち(しちきょうおち)の遺跡」

庭園内

七卿(しちきょう)落ちの
遺跡

1866

坂本龍馬
薩長連合同盟を成立させる為、
京都薩摩藩邸と山口との間を奔走した。
その時も松田屋に滞泊し、
維新の湯や客室を
利用している。

レストラン内「龍馬の掛け軸」

1階

レストラン内
「龍馬の掛け軸」

木戸孝允

大久保利通

西郷隆盛

1867

薩摩藩の西郷・大久保、
長州の木戸・伊藤
らが、
薩長同盟の具体的協議のため来山し、
松田屋にて会談する。

西郷、木戸、大久保会見所

庭園内

西郷、木戸、大久保会見所

初代内閣総理大臣
伊藤博文と松田屋伊藤博文

1887

揮毫額(きごうがく)

本館2階

中広間「群巒(ぐんらん)」に掲げられた 揮毫額(きごうがく)

松田屋新客室棟を増築の折、伊藤博文が
来泊し、これに「群巒閣(ぐんらんかく)」と
命名し、同文字の揮毫額を贈呈祝福される。

1899

扁額(へんがく)

1階

ロビーに掲げられた扁額(へんがく)

再び伊藤博文が来泊され、
旅館業の心得として頂いた扁額「履信居仁
(りしんきょじん)」。松田屋のおもてなしの
心の象徴として今も静かに見守っている。

日本の歴史

松田屋ホテル創業

明治維新の時を共にした松田屋の歴史

浦和沖にアメリカから、
ペリー初来航。

吉田松陰、
松下村塾
を引き継ぐ。

明治維新の時を共にした松田屋の歴史

吉田松陰、安政の大獄で萩で逮捕、
江戸へ護送後死刑に処せられる。
(享年29歳)

維新の志士坂本龍馬らも浸かった、
維新の湯を設営。

「維新の湯」

当時長州、薩摩、土佐の勤皇の志士が倒幕・
皇政復古の密議をしたときにも使用したと
云われる歴史的文化財となる。

坂本龍馬ら維新の志士が
入浴した湯とは

坂本龍馬は脱藩し、
勝海舟の門に入る。
3年後長崎に社中をつくり、
海運貿易に従事した。

勝海舟

坂本龍馬

高杉晋作が松田屋玄関横の
楓の幹に、「盡国家之秋在焉」
(国家に盡すのときなり)との
文字を刻む。
(高杉は同年に奇兵隊を創設)

高杉晋作

高杉晋作が当時の所感を
刻んだ楓を見る

「憂国の楓」

三条実美率いる七卿らは、
松田屋にしばしば来遊滞泊し、
勤王の志士らと討幕の密議を
画策した。

「七卿落ち(しちきょうおち)の遺跡」

坂本龍馬は薩長連合同盟を成立させる為、京都薩摩藩邸と山口との間を奔走した その時も松田屋に滞泊し、
維新の湯や客室を利用している。

レストラン内「龍馬の掛け軸」

第十五代将軍徳川慶喜が、
大政奉還勧告
坂本龍馬・中岡慎太郎、
共に京都の近江屋で暗殺される。

薩摩藩の西郷・大久保、
長州の木戸・伊藤
らが、
薩長同盟の具体的協議のため来山し、
松田屋にて会談する。

徳川慶喜

西郷、木戸、大久保会見所

西南戦争勃発、
西郷軍敗退し、西郷隆盛が鹿児島の城山において自刃。

西郷隆盛

初代内閣総理大臣に
伊藤博文
就任。

伊藤博文

揮毫額(きごうがく)

中広間「群巒(ぐんらん)」
に掲げられた
揮毫額(きごうがく)

松田屋新客室棟を増築の折、
伊藤博文が来泊し、
これに「群巒閣(ぐんらんかく)」と
命名し、同文字の
揮毫額を贈呈祝福される。

扁額(へんがく)

ロビーに掲げられた扁額
(へんがく)

再び伊藤博文が来泊され、
旅館業の心得として頂いた扁額
「履信居仁(りしんきょじん)」。
松田屋のおもてなしの心の象徴として
今も静かに見守っている。

松田屋の歴史

1階 明治維新資料室

明治維新資料室

明治維新資料室

明治維新の志士たちが集ったこ
とで知られる松田屋。ここ明治
維新資料室には、それらに想い
を馳せる品々が展示されており
ます。貴重な資料などが多数ご
ざいます。

1階 明治維新資料室 明治維新の
志士たちに
想いを馳せる場所

1階 明治維新資料室

1階 明治維新資料室

アカマツ

アカマツ

司馬遼太郎の『街道をゆく』の
長州路の章でこのときの様子が
語られていますが、それにより
ますと、松田屋の宿としての雰
囲気が気に入られたようです。
著書の中で画家の風間完氏が天
井や欄間、軒先をご覧になりな
がら『ちょうどいい』と仰った
そうでございます。

昭和に訪れた著名人 作家司馬遼太郎と
画家風間完

アカマツ

松田屋ホテル館内

松田屋ホテル館内

お料理イメージ

おもてなしイメージ

エントランス

松田屋の これからと
受け継がれる
おもてなし

松田屋のおもてなしは代々「お客様本位のおもてなしを心がけるように」と受け継がれてきました。
ご利用者様の目線や立場からの「サービスのあり方」というものについて、お客様より教えられることが多くあり、松田屋のおもてなしに対する基本的な考え方は「お客様に教えられる」というところにございます。
私たちはお客様からの声を大切にし、日々のおもてなしを見直し、毎日のサービスを一生懸命に根気よく続けてまいります。そうして次のお客様に喜んで頂けるよう努力いたします。

松田屋のおもてなし

温泉イメージ

温泉イメージ

客室イメージ