2012.11.22

長州男児の心意気とは

こんばんは松田屋ブログです。
ここにブログを書くたびに月日の移り変わりを確認しているジナンです。
早いもので11月ももう後半になりました。

街ではクリスマスムードが高まる中
会社⇒家⇒会社⇒家…のサイクルで生活を行っている小生には
もう師走が近づいているといわれてもあまり実感がわきません。
が、松田屋では暦やその時折に起こった行事などに関連した
装飾でお客様をお出迎えしております。



<閑話休題>



ただ今、ラウンジバー錦旗では甲冑が飾ってあります。
これは高杉晋作が下関の功山寺で決起したことに由来します。

長州男児の心意気とは

時は元治元年12月15日(1865年1月12日)
藩内の保守派打倒を目指す高杉晋作は
幕府の命令で大宰府に向かう途中で
功山寺に逗留されていた三条実美候のもとに参殿し謁見します。

「今こそ長州男児の心意気をお見せしよう」

そう大呼し馬で雪の中を駆け出していきました。
動けば雷電の如く発すれば風雨の如し
後年、伊藤博文は高杉晋作をこのように評しました。


高杉晋作の甲冑の左に掛けてある書は
功山寺決起の折、高杉晋作が三条候から賜り軍旗に掲げたものです。

忠義填骨髄(ちゅうぎこつづいにうずむ)

忠義の心意気が骨の髄まで染みている。
晋作の挙兵が赤穂浪士討ち入りの日と同じだったのも
彼の心意気の表れだったのでしょうか。