交通案内サイトマップ
庭園お部屋お風呂館内案内お料理  
  特集/山口TOP明治維新と松田屋大内文化明治維新年表維新人名事典|中原中也|
「魂の詩人」中原中也

山口市湯田温泉に生まれ、30歳で夭折した近代を代表する詩人。16歳でダダイズムの洗礼を受け詩に傾倒、その生涯で「山羊の歌」「在りし日の歌」という2冊の詩集を残しましたが、抒情性豊かな作風が死後に認められ、多くの人に天才と称えられました。現在、湯田温泉にある彼の生家後には記念館が建てられ、草稿や彼の日記、詩集など、貴重な資料が数多く展示されています。
 
中原中也記念館
479点の公募から選ばれ、中也の生家跡に建設されました。吹抜空間を持つ展示室には中也の作品や愛用品などが展示されており、中也の詩の世界が体験できます。
   
中原中也詩碑(高田公園詩碑)
これがわたしの古里だ。
さやかに風も吹いているああおまへは何をして来たのだと
吹き来る風が私にいふ。
   
中原中也詩碑(錦川通り詩碑)
しののめの よるのうみにて汽笛鳴る。
こころよ 起きよ 目を醒ませ。
しののめの よるのうみにて汽笛鳴る。
象の目玉の 汽笛鳴る。

略年譜

明治40年(1907) 柏村謙助・フク夫婦の長男として、山口町大字下宇野令村(現在の山口市湯田温泉)で誕生。
大正3年(1914) 7歳/下宇野令尋常高等小学校入学。
大正4年(1915) 8歳/弟亜郎病没。後にこの年亜郎のために最初の詩作をしたと記録。謙助、養子縁組により、一家は中原性に。
大正9年(1920) 13歳/県立山口中学入学。この年「婦人画報」「防長新聞」に投稿の短歌が入選。以降大正12年までに80余首が入選。
大正12年(1923) 16歳/落第が決まり、京都の立命館中学に転入学。高橋新吉「ダダイスト新吉の詩」を読み、傾倒。
大正13年(1924) 17歳/4月、長谷川泰子と同棲。この年ダダイズム風の詩や小説「耕二のこと」、戯曲「夢」などを書く。
大正15年・
昭和元年(1926)
19歳/日本大学予科文科入学。しかし家族に無断で9月には退学。
昭和3年(1928) 21歳/謙助没。喪主でありながら帰省・参列せず。
昭和6年(1931) 24歳/東京外国語学校専修科仏語部入学。弟恰三病没。追悼詩を知人・安原喜弘に送る。
昭和7年(1932) 25歳/「山羊の歌」編集を終えるも資金不足で刊行に至らず。本文を安原喜弘に預ける。
昭和8年(1933) 26歳/東京外国語学校専修科修了。遠縁にあたる上野孝子と結婚。
昭和9年(1934) 27歳/長男文也誕生。12月に「山羊の歌」刊行。
昭和11年(1936) 29歳/長男文也病没。5日後、次男愛雅誕生。
昭和12年(1937) 30歳/「在りし日の歌」を清書。10月に結核性脳膜炎を発病、22日永眠。
昭和13年(1938) 愛雅病没。「在りし日の歌」が刊行される。
   
 

電話でのご予約
電話でのご予約
 
湯田温泉ブログ
 
天然温泉掛け流し
 
今月のお献立
 
山口特集
 
結婚披露宴
 
ご宴会
 
ご宿泊予約約款
 
ご予約の確認・キャンセル
 
個人情報保護方針
 
リンク集