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2012.10.29

錦の御旗は山口で製作されました

慶応3(1867)年

薩長同盟の密議のため西郷隆盛や大久保利通、小松帯刀らが来山した年
倒幕の密勅が薩長に下ると同時に錦の御旗製作の内命がありました。
命を受けた品川弥二郎らは京都西陣で材料を購入し山口に持ち帰り
この地にあった藩の養蚕所内を錦旗製作所とし岡吉春に作成を命じました。

※当ブログを読まれた方からお便りをいただき歴史の指南をしていただきました。
教えて頂いた内容は当館歴史マニアのガワナカ課長も知らなかった内容でした。
ぜひ皆様にも広く知ってもらいたくここにご紹介させていただきます――
ご連絡頂きましたH様、ありがとうございました。

水の上の養蚕所で錦の御旗を密造して本物に仕立てたのは萩の椿八幡宮第9代宮司で
幕末には山口明倫館の国学者にもなってもなっていた青山上総介でした。
明治維新後は上京し、青山清の名で初代靖国神社の宮司を担う人物です。
なお、錦の御旗の材料は京都で品川弥二郎が購入したのではなく、
大久保利通の妾芸者(後の大久保夫人)から入手し、品川が持ち帰ったものです。
詳しくは発売したばかりの『靖国誕生』(弦書房)を読んでみてください。

錦の御旗は山口で製作されました

山口市内にある錦の御旗製作所碑

この時製作された錦の御旗は
鳥羽・伏見の戦いで薩摩藩の本営があった東寺に掲げられたそうです。
当館ラウンジにも錦の御旗が掲げられていますが
これは維新記念100周年を記念して作られた錦の御旗の
レプリカのレプリカになります。

錦の御旗は山口で製作されました

松田屋にあるレプリカのレプリカ



品川弥二郎は日本発の軍歌と言われる『宮さん宮さん』(トコトンヤレ節)の作詞もされています。
ちなみにこの曲の作曲は医師にして兵学者、維新の十傑の一人に数えられる大村益次郎先生です。