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2015.07.16

松田屋と維新

松田屋ホテル謹製 大内文化探訪地図

大内文化の香りと明治維新の面影を今に残す西の京 山口
約650年前、京都を模して築かれた山口の街。大内文化の栄華は31代義隆の時代にその極みに達し
大内氏滅亡後は毛利元就の領地として栄えました。 
現在の山口市内には当時の時代をしのばせる史跡が残っています。
松田屋ホテル謹製の地図をお持ちになり、ちょっとディープな維新探訪にお出かけになりませんか?

ダウンロードはこちらからどうぞ
※印刷して観光にお役立て下さいませ

維新史跡探訪地図はこちらから


1.瑠璃光寺五重塔
  大内盛見(もりはる)が兄の義弘の菩提を弔うために建立しました。
  嘉吉2(1442)年と書かれた組物の斗が解体修理によって発見されました。
2.洞春寺山門
  創建年代は不明ですが、大内盛見が応永11(1404)年に
  この地に建立した国清寺(こくしょうじ)の山門と伝えられています。
3.洞春寺観音堂
  永享2(1430)年、大内持盛が開基として建立した
  滝町の観音寺の仏殿を移築したものです。
4.大内氏遺跡 高嶺城跡
  弘治3(1557)年、大内義長が毛利の来襲に備えて築城したものです。
  石垣や井戸、郭の跡が残っています。
5.山口大神宮
  大内義興が伊勢から神霊を迎え創建した神社です。
  永正16 (1519)年に内宮が、翌17年に外宮が落成しました。
6.サビエル記念聖堂
  天文20(1551)年に宣教師フランシスコ・サビエルが布教に訪れてから
  400年を記念して、昭和27年に最初の記念聖堂が立てられましたが、
  平成3年9月5日に失火により全焼しました。
  現在の聖堂は平成10年4月29日に再建されたものです。
7.古熊神社本殿 / 拝殿
  応安6(1373)年、大内弘世が京都の北野天神から神霊を迎え、北野小路に建立しました。
  江戸初期に毛利秀就が現在の場所に移築しました。
8.善生寺庭園
  池泉観賞式庭園で室町時代の作庭です。
  江戸時代に藩がまとめた「防長風土注進案」には雪舟の作と記されています。
9.大内氏遺跡 館跡
  大内氏が政務を執った場所です。発掘調査により庭園や門の跡が発見されました。
  現在は龍福寺境内内地となっています。
10.龍福寺本堂
  弘治3(1557)年、毛利隆元が大内義隆の菩提寺として建立した寺です。
  明治14年に本堂が焼失したため室町時代に建てられた興隆寺釈迦堂を移築しました。
11.大内氏遺跡 築山跡
  大内教弘の時代に外客接待の迎賓館であったと伝えられています。
  現在は八坂神社境内内地となっています。
12.今八幡宮本殿/拝殿/楼門
  大内政弘が文明3(1471)年に創建し、
  この地にあった今八幡宮に朝倉八幡宮を合祀移築したと伝えられています。
13.八坂神社本殿
  本殿は永正17(1520)年に大内義興が山口大神宮境内に再建したもので
  明治元年にこの地に移築されました。
14.雲谷庵跡
  雪舟は画僧としての人生の多くを山口の雲谷庵で過ごしたと伝えられています。
  現在の庵は明治17年に復元されたものです。
15.常栄寺雪舟庭
  常栄寺の地は、大内教弘の妻の菩提寺であった妙喜寺でした。
  庭園は雪舟の作庭と伝えられています。
16.サビエル記念碑
  日本で最初の教会があった場所は現在サビエル公園として、
  記念碑とビリヨン神父の銅像があります。
  その教会で歌ミサが行われたのが日本で最初のクリスマスだと言われています。