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2015.07.05

松田屋と維新

祝・世界遺産登録!萩産業革命遺産のご紹介<松田屋ホテルのおすすめ特集・其の1>

7月5日、ユネスコ世界遺産委員会で萩の5資産(萩反射炉恵美須ヶ鼻造船所跡大板山たたら製鉄遺跡萩城下町松下村塾)を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産へ登録が決定しました♪

日本は、幕末から僅か半世紀の間に製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業において急速な産業化を達成し、非西欧地域で最初の産業国家としての地位を確立しました。このことは、世界史的に極めて意義のある特筆すべき類稀な事象であり、この歴史的過程を時間軸に沿って示しているのが、「明治日本の産業革命遺産」です。今回より定期的に、松田屋ホテルとも密接な歴史のつながりがある、世界遺産に登録された萩の産業革命遺産を紹介していきたいと思います。


【萩反射炉】
1853(嘉永6)年のペリー来航前後の日本では、欧米列強に対する危機感が高揚、これに対抗するため、西南雄藩が中心となって海防強化に努め、旧来の青銅製大砲に代わる強力な鉄製大砲の自力生産が模索されはじめます。このような時代のなか、萩(長州)藩では、軍事力強化の一環として、鉄製大砲の鋳造に必要な金属溶解炉である反射炉の導入を試みます。

祝・世界遺産登録!萩産業革命遺産のご紹介<松田屋ホテルのおすすめ特集・其の1>

萩(長州)藩は、1855(安政2)年7月、すでに1851(嘉永4)年に反射炉の操業に成功していた佐賀藩へ、藩士らを派遣し、反射炉のスケッチして持ち帰ります。
現在残っている遺構は、反射炉の煙突にあたる部分で、高さ10.5メートルの安山岩積み(上方一部煉瓦積み)です。上方で二股に分かれているように見えますが、実際はそれぞれ独立した2本の煙突となっています。佐賀や韮山(静岡県)の反射炉が、オランダの原書どおり、約16メートルの高さがあったのに比べ、萩反射炉は7割程度の規模しかありません。また、萩(長州)藩の記録で確認できるのは、1856年の一時期に試みに反射炉が操業されたことから、萩反射炉はこのスケッチをもとに試作的に築造されたと考えられています。

現存している反射炉は、静岡県の韮山と萩の2基だけであり、我が国の産業技術史上大変貴重な遺跡です。

■萩市大字椿東4897‐7ほか
萩市内中心部から北東へ約5km Pあり(無料)
※松田屋ホテルからのアクセス 車で約60分


松田屋ホテルでは世界遺産登録決定を祝してお得な宿泊プランをご用意しております。
萩の産業遺産群 世界遺産登録記念プラン